文責:濱中 うどん部が五月祭に出店するのは今回で4回目である(初回は展示のみ)。既に「東大うどん部の焼うどん」の常連客も存在しているようだ。また東大新聞で五月祭おすすめ企画として紹介していただいた。 このような状況の中、部員の誰もが東大うどん部が焼うどんを五月祭で販売することは至極当然だと思っていた。しかし、今回に関しては出店までの道のりは決して平坦なものではなかったのだ‥。 1.出店の危機(2013年4月1日〜5月3日) ↑この章が一番長いが、内容がないのでとばしても問題なし。 全ては他大所属の某部員のtwitterの呟きから始まった。「うどん部五月祭出れないの!?何とかしてよぅ」 そう、気楽に入れる緩いサークルだという事を売りにしているうどん部では何と4/1の時点で五月祭担当が決まっていなかったのだ!しかも、そのことに某部員のtwitterでの呟きがあるまで私を含めて誰も気に留めていなかったのだ。このような事をやっているから、うどん部はtwitter上だけの架空のサークルだと思われてしまうのである。 とはいえ、最初はうどん部が五月祭に出られないと知っても私は「残念だけど、仕方がないか。五月祭出店申請締め切りは2/15だし。」くらいにしか思わなかった。 しかし、仮にも私はうどん部部員紹介のページで「駒場の主」と紹介されている以上、たかだか五月祭の出店ぐらい「駒場の主」としてなんとかしないわけにはいかなかった。 とりあえず、孫クラ(2つ下のクラスの事)の五月祭常任委員から、これまたtwitterで次のような情報を得る事に成功した。「とりあえず委員会側にその旨を伝えてみてください!望みは薄いですが、新入生のクラスが少なければできるかもしれません…ただ、もう終わった申請等も多いのでかなり厳しいとは思います。」以上のような情報から、私は委員会に殴り込みをしにいくだけの価値はあると判断した。 翌日、私はうどん部員一人を引き連れて委員会室に殴り込みをしにいった。意気揚々と委員会室に入って用件を伝えると「それでは遅れ申請という事で受け付けますので、PCから申請して下さい」と意外にもあっさりと告げられた。言われた通りにPCで申請をし、結果を待つ事とした。 5月1日、PC上で出店許可を確認した。しかし、翌日委員会から「やはり場所が用意できなかったため、キャンセルとなりました。」というメールが届き、意気消沈する事となった。ところが、またその翌日委員会から「出店が可能となりました。場所は弥生キャンパスです。」というメールが届き、晴れて出店出来る事になった。 ちなみに後日明らかになった事だが、うどん部は去年も遅れ申請だったらしい‥。 教訓:うどん部への愛さえあれば何とかなる。 この期間にやった事まとめ【重要】 •委員会への注文等(どんぶり×500、割り箸500膳、油2瓶、アコムレンタルのLP二重ガスコンロセット×2、北京鍋×2、消火器、テント、机×2、アイスボックス)(4月8日) •委員会へのゴミ排出申請等(4月12日) •シフト希望調査表をメーリスでまわす(数回) 2.準備(2013年5月4日〜5月17日) この期間にやった事【重要】 •神田の「河内屋」への注文(うどん500食、鰹だし汁7瓶←2日で4瓶で十分だった)(5月9日) •シフト希望調査表をもとにシフト作成(5月13日) •ネギ購入(1日目15束←多すぎた、2日目12束)、手分けして家で切って当日持参(5月17日、18日) •テント組み立て、レンタル受け取り(5月17日) •企画者会議出席 •台車を人から借りる(5月17日) 教訓:五月祭経験者の先輩に絡む事。 3.当日(2013年5月18日〜5月19日) 5月18日 8:17 8:25に古田部員と本郷キャンパス弥生門にて待ち合わせをしていたのだが、私は間違えて浅野キャンパスの小さな門に到着。 8:35 いっこうに現れる気配がないので、古田部員にモーニングコールのつもりで電話をかけると私が場所を間違えていた事が判明。 8:50 古田部員発見。古田部員運転のレンタカーで河内屋へ。 9:05 河内屋到着。注文しておいたうどん、汁を受け取る。追加で鰹節20袋2kg分(2日で13袋で十分だった。)天かす1kg購入。 9:15 河内屋出発。 9:30 弥生門到着。あらかじめ待機させれおいた部員に運ばせておいて、私と古田部員は別の企画のため離脱。私は12時半頃からシフトに入った。 14:30 うどん完売(280食)。片付けに入る。 16:15 撤収。 5月19日 6:30 放置していた食品を没収した旨の五月祭委員からの連絡メールを読む。8~9時に委員会本部に来るようにと書かれていたため、慌てて家を出る準備をする。 8:25 委員会本部到着。没収されたのは開封済み汁1瓶のみ。 11時半頃 売れ行きを見て立花部員が50食分の買い足しを提案。立花部員神田へ。 12:16 立花部員から100食分(20kg)買ったため、一人では運べないので神田に部員を派遣するようにというメールが来るものの無視。 12:30 立花部員、一人で本郷三丁目まで運ぶ。本郷三丁目に人を派遣するようにというメールが来るものの無視×約3回。 12:40 ようやくメールに気がつく。私は一時的にシフトを抜けて本郷キャンパスにいたため、弥生キャンパスにいる部員に救援要請をするものの人手が足りないという事だったため台車を取りに弥生キャンパスに戻る。 12:50 弥生キャンパス到着。台車とともに本郷三丁目へ。 13:05頃 本郷三丁目着。立花部員、別のサークルのため離脱。台車で弥生キャンパスへ。 13:10頃 うどん完売(220食) 13:30 弥生キャンパス到着。私は別のサークルのため離脱。 14:30? うどん完売。 16:30 別のサークルからうどん部のテントに戻ってくると、ぼんやりと座っている大下部員とY澤部員発見。O崎部員が委員会の掃除の手伝いに2時間いっていて、他の部員2人がゴミ出しにいっていているため、テントには2人しか残っておらず、テントをおろせないとの事。7団体のうち片付けが遅かった団体2団体は全員お残りになってしまうため、早く撤収しなければならないという事を知って、メーリスで懇願メールを回す。人が集まってきたため、テントをおろす。 17時頃 清掃確認を受ける。うどんが入っていたタッパーをタクシーで河内屋まで行く。(去年は一日目のタッパーを二日目の朝に行く時に持っていって、二日目は段ボールに移し替えて持ってきたらしいので、その方がいいと思われる。) 18時頃 委員会の仕事から戻ってきたO崎部員、Y澤部員、宮本祐希部員、保田部員、I藤部員、T花部員、私で打ち上げとしてうどんを食べに根の津に行く。 教訓:食品は毎日めんどくさがらずに持って帰りましょう。 |